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2007年9月29日
2001年に500ccマシンで最初のタイヤテストを開始した日本のタイヤメーカーであるブリヂストンは、2002年からのMotoGP最高峰クラスへの参戦6年目となる今シーズン、ドゥカティーのケーシー・ストーナーの年間タイトル制覇により、4輪のF1に続いて、ついに2輪のロードレースでも頂点に立った。
ここでは、ここまでのブリヂストンタイヤのMotoGP参戦の歴史を簡単に振り返り、ブリヂストンのMotoGPにおける活動の中心的な役割を担ってきた同社の2輪スポーツ推進リーダーである山田宏氏のインタビューを、日本GP直後のブリヂストンの公式リリースより、その全文を紹介する。
■ブリヂストンのMotoGP参戦の歴史
グランプリマシンが2ストローク500ccのみの最後のシーズンとなった2001年、ブリヂストンはこの年に2輪ロードレース最高峰クラスへのチャレンジを目標にタイヤテストを開始し、翌年の4ストロークと2ストロークマシンが混走したMotoGPクラス初年度の2002年からは、本格的にレースへの参戦を開始している。
■初年度の最高位はグールベルグの5位
MotoGP参戦初年度となった2002年、ブリヂストンはカネモト・レーシング(ホンダ)のユルゲン・バンデン・グールベルグ、プロトンKR(現チーム・ロバーツ)の青木宣篤選手とジェレミー・マクウイリアムスという2チームの3名のライダーにタイヤ供給を開始し、この年の最高位はグールベルグのオーストラリアGPにおける5位だった。
■2年目は玉田選手が初の表彰台
参戦2年目となる2003年、この年にはブリヂストン2年目のプロトンKRに加えて、プラマック・ホンダからグランプリに初参戦した当時のブリヂストンとの契約ライダー、SBKのスポット参戦で優勝を果たし、全日本で圧倒的な人気を誇っていた玉田誠選手が参戦。ホンダとブリヂストンの初のパッケージで玉田選手はブラジルGPにおいてブリヂストン初の表彰台となる3位を獲得し、この結果からブリヂストンタイヤと玉田誠選手の両方が同時に世界からの注目を集め始めた。
■カワサキとスズキが加わり飛躍の年となった3年目
前年の玉田選手の活躍もあり、参戦3年目となる2004年はブリヂストンにとって最初の飛躍の年となった。ヤマハから中野真矢選手が移籍した直後のカワサキ、および2000年度チャンピオンであるケニー・ロバーツ・ジュニアとジョン・ホプキンスが所属していたスズキという、ワークス2チームがブリヂストンを選択したのはこの年だった。
このスズキとカワサキのワークス勢の参加に加え、この年はキャメル・ホンダに所属していたブリヂストン契約2年目の玉田選手がポルトガルでは2位表彰台、さらにブラジルと日本での2回の優勝を果たすという大活躍を見せた。ブリヂストンに初の勝利をもたらした玉田選手はこの年の年間ランキングの5位につけている。
また、ムジェロでは時速300キロ近い速度で走行中のメインストレートにおいてタイヤがバーストし、マシンと共に宙に投げ出されたカワサキの中野選手も日本GPでは3位を獲得しており、優勝の玉田選手、2位のバレンティーノ・ロッシと共にもてぎの表彰台に上っている。
■ロッシの心理作戦に揺れた玉田選手
なお、この年に玉田選手はバレンティーノ・ロッシやそのチーフ・メカニックのジェリー・バージェスなどから「ブリヂストンタイヤを履けば勝てる」や「ロッシにブリヂストンを履かせて戦わせたい」などの露骨な心理作戦とも取れるコメントを受け、翌年にはブリヂストンとの契約を打ち切り、ロッシと同じタイヤで戦う事を目的に、新チームのJiRとともにミシュランを選択した。
■4年目にはドゥカティーがブリヂストン勢に
参戦4年目となる2005年には、ロリス・カピロッシとカルロス・チェカが所属するイタリアのドゥカティーがブリヂストン勢に加わり、カワサキとスズキに続く3つ目のブリヂストンを履くワークスチームとなった。この年は中国GPにホフマンの代役としてスポット参戦したカワサキのオリビエ・ジャックが2位表彰台、スズキのケニー・ロバーツ・ジュニアがイギリスGPで2位表彰台、ドゥカティーのロリス・カピロッシはもてぎとマレーシアで優勝を飾っており、ブリヂストンを履く3チームの全てが表彰台を獲得している。
また、この年のブリヂストン勢の中で最も勢いのあったロリス・カピロッシは年間ランキングの6位につけた。
■5年目には初のヨーロッパでの勝利
参戦5年目となる昨シーズンの2006年には、ドゥカティーのロリス・カピロッシがブリヂストンにとってヨーロッパでの初の勝利を開幕戦のヘレスで達成し、カタルーニャの大事故で負った胸部のダメージにもかかわらず、その後はチェコGPと日本GPでも優勝を果たし、年3回の勝利をブリヂストンにもたらしている。
カタルーニャのオープニングラップでの連鎖事故に巻き込まれるまで、カピロッシは年間ランキングの1位を争っており、その不運がなければヘイデンとロッシを制して年間タイトルを狙える可能性も十分にあった。この3回の勝利以外にも、カピロッシはこの年にカタールGP、フランスGP、イタリアGP、マレーシアGPでも表彰台を獲得しており、年間ランキングは3位だった。
カピロッシ以外にも、2006年はカワサキの中野選手がオランダGPで2位表彰台、リズラ・スズキのクリス・バーミューレンはオーストラリアで2位表彰台、最終戦のバレンシアではドゥカティーからセテ・ジベルナウの代役として参戦したトロイ・ベイリスが、ミシュラン・ドゥカティーでMotoGPレギュラーを務めた時代には本人が達成できなかった優勝を果たしている。
■ライダーがブリヂストンを指名するようになった6年目の今期
ここまでのブリヂストンの急成長を受けて、グレッシーニ・ホンダのマルコ・メランドリは2007年度からのブリヂストンタイヤの使用を強く希望し、チームがミシュランからブリヂストンにスイッチする事を条件にチームに残留。ダンロップタイヤで2006年シーズンを苦しんだプラマック・ダンティーン・チームもドゥカティーとスポンサーの後押しを受けてブリヂストンにスイッチし、この結果、参戦6年目となる今年の2007年にはドゥカティーとスズキとカワサキの3ワークスに加えて、ホンダのサテライト・チームであるグレッシーニ・ホンダと、ドゥカティーのサテライト・チームであるプラマック・ダンティーンがブリヂストン勢に加わり、計5チームの10名のライダーがブリヂストンタイヤを装着している。
■新タイヤルールに対応しきれなかった宿敵ミシュラン
また、急成長を遂げていたブリヂストンのタイヤ性能アップに加えて、レースウイーク中のタイヤ持ち込みを禁止する新レギュレーションが制定された事により、ヨーロッパのレースではレースウイーク中のフリー・プラクティスのデータを反映し、夜通しの作業で専用タイヤをレースに向けてフランスの工場で製造、決勝当日までにサーキットに持ち込むという地の利を活かした長年のミシュランの慣習に大打撃が与えられた。
■2007年、ついに圧倒的な強さで念願のグランプリを制覇
この流れの中、ドゥカティーに移籍して1年目のケーシー・ストーナーのブリヂストン勢を代表する圧倒的な強さと、思い通りに走れるタイヤがミシュランから供給されなくなった事をなげくバレンティーノ・ロッシやダニ・ペドロサなどの不調もあり、第15戦の日本GPが終わった直後の現段階において、ストーナーは8回の勝利を含む11回の表彰台、トニ・エリアスはトルコGPと今回のもてぎの2回の表彰台、マルコ・メランドリはフランスGPとアメリカGPの2回の表彰台、アレックス・バロスはムジェロで1回の表彰台、ロリス・カピロッシは今回の日本GPで3連覇を達成している。
また、ストーナーに続いて今期の特筆すべき活躍はリズラ・スズキ勢の2名であり、ジョン・ホプキンスとクリス・バーミューレンは合わせて今シーズン7回の表彰台を獲得、その内の1回はバーミューレンのルマンでの優勝だ。
■圧倒的すぎる強さ?
2002年から現在までにブリヂストンが参戦した97回のグランプリでの実績を合計すると、優勝は18回、表彰台は51回、予選でのポールポジションは20回となる。参戦からのしばらくはブリヂストンに勝ち目がないと言われた時期も長く続いたが、多くの経験を経て急激にタイヤの品質を上げる事に成功したブリヂストンは、参戦6年目にして見事にミシュランをタイヤ支配の座から引きずりおろし、幸か不幸か逆に自らが「圧倒的すぎる」と言われるグランプリの支配者となった。
■タイヤワンメイクの流れに困惑するブリヂストンとミシュラン
なお、このブリヂストンの強さと、かつての2輪ロードレースの支配者であるミシュランの急落ぶりから、MotoGPの商業権利元であるDORNAは、今期はレースでの勝敗の行方があまりにタイヤに大きく左右された事からMotoGPのレースとしての醍醐味が損なわれたとして、来期の2008年からはタイヤ・レギュレーションを、SBKや4輪のF1の流れと同様に、ワンメイクの方向に推し進めようとしている。
ミシュランとブリヂストンは来期に向けてのタイヤルール改訂案を共に議論していたとされるが、日本GPの最中にDORNAから提案されたこのワンメイク案には2社共に揃って困惑している様子だ。F1ではブリヂストンが全チームへのコントロール・タイヤ提供元となったが、もし本当にDORNAがマレーシアGP以降にワンメイクを決定する事があれば、ダンロップを含む3大タイヤメーカー間でコンペが行われる事になる。しかしながら、現段階においてミシュランとブリヂストンからの合意が得られていない以上、このタイヤルールに関する議論はさらに複雑な局面を迎えるかもしれない。
■グランプリの歴史に残る6年目のブリヂストン
いずれにしても、6年目のブリヂストンの圧倒的な強さは、グランプリのタイヤルールの根底を覆しかねないほどの偉業であった事だけは間違いないだろう。
■ストーナーの年間タイトル決定直後の山田宏氏インタビュー
以下に、ブリヂストンの2輪スポーツ推進リーダーである山田宏氏の、天候や路面温度が不安定となり、レース開始前とレース途中のマシン交換時におけるタイヤ選びが難しい状況となった日本GP開催中の状況、ならびにストーナーのタイトル確定後の心境などを、ブリヂストンの公式リリースより紹介する。
●まず日本GPの内容から振り返ってみたいと思いますが、ブリヂストンがホームであそこまでの成功を収めると予想していましたか。
日本GPはブリヂストンの母国レースですから、目標は常に高く設定しています。もてぎではここまでの過去3年間、玉田選手とロリスカピロッシが勝利していますし、もちろん期待は大きかったですよ。
しかしながら、金曜日と土曜日は気温が非常に高かったので、競争はものすごい接近戦になりました。ホンダのダニ・ペドロサ(ミシュラン)がその中の全てセッションを制しましたしね。
ただ、それでもまだいい結果への期待感は抱いていました。レース当日は気温が下がる事を想定していたからなんですが、それにしても、雨があそこまで戦いに大きな影響を与えるとは思いもしませんでした。
●天候があのように不安定な時、走行条件に適したタイヤを選ぶのは各チームにとってどのくらい難しいものなのでしょう。
天候が事前に落ち着いてくれない時は、レースまでの準備は大変に難しくなります。今回は日曜日の午前中のウォームアップが雨でしたが、午後にバイクがスターティング・グリッドにつくまでに降り止んでしまいました。
あの段階ではコースはまだすごく濡れていて、ウェットタイヤでレースを開始する以外に選択肢はなかったんです。
ああいう場面では各チームと密接に行動を共にしながら、柔らかめのタイヤと硬めのタイヤのどちらが最良の選択になるかを判断するために、レース中の天候の変化を一緒に予測するんです。
最終的にはチームの判断が絶対ですが、それでも私たちは彼らがその決断を下すまでのあらゆる過程の中でアドバイスを続けます。
●路面が乾き始めた時、ブリヂストンライダーの全員がフル・スリックを選択したのですか。
ウェットのセッティングからドライのセッティングのマシンにライダーがレース中に乗り換えるのは今回が初めての経験でした。
カットスリックを選んだ柳川明選手(カワサキ)を除くほとんどのブリヂストン勢はフル・スリックに乗り換えています。ただ、今回のレースの鍵はタイヤというよりむしろピットインのタイミングにあったのではないでしょうか。
ロリス、ランディ、それにトニの全員が8ラップ目から9ラップ目にピットインしましたが、ドライになりかけの路面条件の中でスリックタイヤを履いてコースに戻った彼らは、そこから大きく優位に立ちました。
彼らはあの重要なピットインのタイミングよりも遅れてマシンを交換した他のライダーたちから、大きな差を奪う事になったんです。例えばマルコとケーシーはレースの序盤をリードしていましたが、14ラップ目にピットインした事によりポジションを大きく落とし、結果的には5位と6位でしたからね。
●今回ブリヂストンが表彰台を完全に独占した事は、あなたたちにとってどのような意味を持つものでしたか。
ホーム・グランプリでのこの素晴らしい成績ですから、意味するところは大変に大きいですよ。
特にロリスは私たちのタイヤを履いてから、もてぎでの3連覇を達成する事になりました。彼とは長い期間を一緒に頑張ってきましたから、私たちのホームで彼が表彰台の頂点に立つのを見るのは本当に素晴らしい事です。
それにカワサキの結果についても大変に嬉しく思います。ランディとの初の表彰台を一緒に成し遂げる事ができましたし、カワサキにとっては今年初の表彰台になりました。ようするに、今年は8人のブリヂストン・ライダーが表彰台に立ち、この結果、私たちのタイヤを使用する5チームの全てが表彰台を獲得した事になります。
また、最近の大怪我の後ですから、トニがグレッシーニ・ホンダのために3位を獲得できたのを見れて非常に嬉しかったです。
もちろん天候がレースを左右し、他のライダーたちが不運に苛まれたのも事実ですが、それもレースの要素の一部ですからね。
●それでは最後に最も大きな出来事への質問ですが、今回のレースでケーシー・ストーナーがブリヂストンタイヤを履いて2007年度のMotoGP最高峰クラスの世界チャンピオンに決定しましたね。これについてはもう実感は沸いていますか。
今のところ、まだあまり現実として飲み込めていない感じですが、ブリヂストンタイヤを使用した世界チャンピオンが誕生した事については本当に信じられないような素晴らしい気持ちです。2001年の最初のテストからの過去6年間を通し、このブリヂストンのMotoGPプロジェクトにかかわってきた全員にとって、最高の栄誉となりました。
今シーズンはドゥカティー・チームとそのファクトリーの全員が、称賛に値する素晴らしい活躍を見せてくれました。それと同時にケーシーとロリスの貢献にも感謝しなければいけませんね。
今年のケーシーは全ての点において最高でしたし、本当にチャンピオンにふさわしい活躍でした。彼が私たちのホーム・グランプリでタイトルを獲得したのを見て、何か特別な気分にさせられます。
ただ、まだ今年は3つのレースが残っていますので、今後もそれに集中し、さらに勝利を増やせるように全力で頑張り続けるつもりです。
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