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2008年10月1日
5万7千865人の観客が訪れた9月28日の栃木県ツインリンクもてぎでの日本GP決勝レースにおいて、最高峰クラスにおける自己通算70回目の優勝を果たし、シーズン残り3戦を前にしてランキング2位につけるドゥカティーのケーシー・ストーナーを92ポイント引き離したフィアット・ヤマハのバレンティーノ・ロッシは、12年間のグランプリ経歴の中では8回目、最高峰クラスでは6回目となる年間チャンピオンの座に輝いた。
■2年間の敗北と、それを乗り越えてチャンピオンに輝いた今の心境を語るロッシ
ここでは、2年ぶりにチャンピオンの座を奪還したバレンティーノ・ロッシの、レース直後の優勝祝賀会を目前に控えていた時のロングコメント全文を紹介する。ロッシは最高峰クラスにデビューしてからの順風満帆の時代、打ちひしがれた2年間の敗北、そして今年からブリヂストンにスイッチしてこの日にチャンピオンの座に返り咲くまでの様々な出来事や当時の心境を振り返りながら、最後に来期以降の展望を以下の通り語っている。
■2008年度MotoGP最高峰クラス年間チャンピオン、バレンティーノ・ロッシ
素晴らしい勝利でしたし、ものすごい事を本当にやり遂げたという感じです。ヤマハでの最初のタイトルを2004年に獲得した時と同じようなレベルか、またはそれ以上の内容だったんじゃないですかね!
今年のチャンピオン争いは本当に長くて厳しいものでしたが、チームとヤマハのスタッフ全員はここまでに一瞬たりとも諦めの姿勢は見せませんでした。どんな走行条件だろうと常に最高のバイクをどのサーキットでも彼らが提供してきてくれたおかげで、自分は今回のような走りと多くの勝利を記録する事ができたんです。本当に嬉しいです!
レースはすごいバトルでしたね。今シーズン中はいつでもそうでしたが、今回も100%の力を出し切って戦いました。今日のペドロサとストーナーは本当に強かったし、彼らと今回のようないい戦いができる時はとても楽しいですよ。ファンの方たちにとってもいいレースだったと思うので、今回の内容には本当に満足できます。
2001年や2004年と同様に、レースに勝利して年間タイトルを決定できたのは本当に最高ですし、素晴らしい気分ですね。年間タイトルを狙ってここまで必死に戦ったのは、恐らく今シーズン以外にはなかったと思います。ですからヤマハと自分のメカニックやチームの全員、ならびに自分と共にこの過酷な戦いの中を過ごしてくれた全ての人たちに、心からの感謝の気持ちを伝えたいです。
当然ながら、特別な感謝の気持ちをブリヂストンにも伝えなければなりません。彼らはシーズンを通して素晴らしい仕事をタイヤに施してくれましたし、彼らの的確な判断が今シーズンの勝利の大きな部分を占めていました。
過去の2年間はタイトルに敗れましたし、今シーズンも自分に運があったとは思いませんが、それでも今年はチームとしての素晴らしい力を示す事ができていたと思いますし、一度も諦めたりはしませんでした。
これでヤマハでの勝利が3回目になった事を大変に嬉しく思います。なぜなら、これで以前の所属チームでの勝利回数に並びましたからね。前からヤマハには、以前のチームと同じだけの成績をヤマハのライダーとして提供できればと思っていたんです。自分は過去のどのチームよりもヤマハを特別な存在として感じていますし、今後もさらにずっと彼らと一緒に戦っていきたいです!それと、これでまた自分は世界チャンピオンとしての立場に慣れていかないといけませんね!
簡単には比較できませんが、恐らく2004年のヤマハでの初タイトルの時よりも嬉しいかもしれません。あの年はタイトル3連覇の翌年でしたが、あまりに環境が大きく変わった直後でしたから、自分がチャンピオンになるとは誰も予想していませんでした。正直、自分たちですら同じ考えでしたしね!その一方、今年はタイトル争いに2回敗れた後でしたし、シーズン序盤は優勝候補の筆頭でもありませんでしたから、この勝利は2004年の時と同様に素晴らしく思えるんです。何か特別に感慨深いものがありますよ。
2006年シーズンに敗れたのは不運が原因でした。まだあの時は大半のレースで勝てましたし、ほとんどのサーキットで誰よりも速かったですからね。でも、2007年シーズンに入ってからはストーナーの方が自分たちよりもずば抜けて速くなり、シーズン終盤には大きく引き離される結果に終わりました。
年間タイトルを勝ち取るのは本当に難しい事ですが、だからこそとても大切なんです。
今期からタイヤをブリヂストンにスイッチする事を、ジェレミー(バージェス)やチーム、およびヤマハのクルー全員で一緒に決めましたが、これは非常に重要な決断でした。また、バイクの変更箇所についても同様です。初代800ccのM1は十分に戦えるマシンじゃありませんでしたからね。
去年は非常に多くの話し合いを行いましたが、その中でも最終戦のバレンシアでの会議が奇妙だったのを覚えています。自分は手を骨折した状態で古沢さん(ヤマハの技術統括部長)と2008年シーズンについて話し合い、その後はすぐに今シーズンに向けての改善項目に取り組みましたが、何よりも適材適所を実現する事が重要でしたね。おかけで今年は全てが正しい流れに乗り、段階を踏んで着実に進んでこれました。
今年は色々と正しい意志決定を下す事ができたので、シーズン序盤から高い競争力を維持できたんだと思います。開幕戦のカタールは今シーズンの中では最悪のレースでしたが、それでも自分たちの戦闘レベルが低くない事は把握できました。まだあの時点では不安も少しありましたが、数点の問題さえ解決できれば勝利は狙えると思ったので、希望を失う事はありませんでした。
過去の2年間を通して自分は大きく成長できたと思っています。2005年シーズンが終わった時のレース経歴は本当に素晴らしく、125ccと250ccクラスを制覇した後に最高峰クラスでも引き続き2種類の異なるバイクで5回連続のタイトルを獲得し、大きな目標のほとんどを達成していましたから、もう自分は無敵なんだと思っていました。ところが2006年と2007年には負けるという事を学んだんです。これは自分にとってものすごく重要な事でしたね。おかげで以前よりも強い意志と集中力を身につけ、今回の年間タイトル獲得に向けてはかつてない程の努力を注ぎ込む事になったんです。
今シーズンは厳しい時期も何回かありましたが、シーズン序盤のまだブリヂストンがそれほど強さを発揮できなかった頃の成績が重要でした。ヘレス、ポルトガル、それに他の数戦ですが、その時期にストーナーとの差を大きく広げる事ができましたからね。バルセロナ以降のケーシーは悪魔のような強さを取り戻して3連勝を記録しましたが、その次のラグナ・セカが自分たちの流れを大きく変えました。ラグナは本当に激しいバトルでしたが、あのレース以降、こっちの勢いが増したんです。
今日のレースの直後、公証人に扮装した友人の1人に対して8回目の年間タイトルの契約書にサインをするという手続きのまね事をして遊びましたが、再び友人たちやファンクラブと一緒にどうやって勝利を祝うか、またこのチャンピオンTシャツのデザインをどうするかなどを考える事ができて本当に楽しかったですね。そこで思いついたアイデアの1つがこの「SCUSATE IL RITARDO(遅れてごめんね)」でした。
ヤマハにはとても満足できていますし、それが契約をさらに2年間更新した理由です。いくつか他のファクトリーからもいい条件のオファーをもらいましたが、もうすでにバイクは1回変えてるし、ここまでに自分の思いを全て実証する事はできているので、あえてもう一度同じ事をする必要はないと思いました。それに自分はもう二十歳の青年ではありませんからね。自分の集中力を維持するにはチーム内にいい雰囲気が必要ですから、そういう意味でも今のヤマハにはとても満足しているんです。日本人スタッフからガレージの隅々までチームの全部が素晴らしいので、こういうコメントを述べたくなります。
2009年シーズンは今年よりもさらに厳しい戦いになると思っています。これでまた世界チャンピオンに戻る事はできましたし、自分が今でもすごく速く走れる事は証明しました。今年はミスをしたアッセンを除けば、自分のレース経歴の中でも最高と言える走りができた1年だったと思います。ただ、来年の事に関して言えば話は全く別ものですよ。冬季テストがどうなるかにもよりますが、ストーナーやペドロサ、それにロレンソなど、他にも多くのライダーがこの選手権の中で速さを見せてくる筈です。
すごい戦いのシーズンになるでしょうね。だからとても楽しみにしていますが、今は何よりも先に今シーズンを最後までしっかり戦い、残り3回のレースの全てで勝てるように頑張るつもりです!
前から言っているように強いライダーは今でもたくさんいますが、将来は『誰もバレンティーノ・ロッシのようには勝てない!』というのを定説にしたいですね。弟のルカ(11歳)は自分と同じくらいに強くなるかもしれませんが・・・今回のウイニング・ランの時には弟を自分のバイクに乗せて本当は走りたかったんですが、それは許してもらえませんでした。自分はルカがMotoGPに上がってくるまでは引退しないかもしれませんよ。その初年度に彼を負かして、その直後に引退したりしてね!
20や22歳の時というのは、全て人と違った方向に生きようとするものです。2000年の時と今はだいぶ異なりますね・・・多分2000年の最高峰クラスデビューの年にも自分はチャンピオンになれた筈ですが、あの時は自分を過小評価していました。翌年の2001年は500ccクラスのチャンピオンになれる最後のチャンスでしたから、全力で戦って実際にそれを勝ち取っています。その2001年はビアッジとのバトルの年で、続く2002年は自分の勝利はバイクのおかげだと噂された年でしたね。続く2003年はジベルナウとのバトルの年で、あの時はシーズン終盤まで激しい戦いでした。どれも素晴らしいシーズンでしたが、ヤマハに移籍してみたら全てが違っていて、またさらに楽しめるようになったんです。
2003年シーズンの途中にはヤマハへの移籍を考え始めていました。もちろん新しい挑戦は怖かったですよ。色々疑問も多かったですからね。今年は新しいバイクと新しいタイヤをテストした時に、これなら勝てる可能性があると認識しましたが、2004年の時は新しいバイクに乗った瞬間に、これは大変な作業が必要だなと思いました。だから2004年に開幕戦のウェルコム(南アフリカGP)で勝てた時の感動は自分のレース人生の中でも最高のものでしたね。今年のラグナ・セカでの勝利以上でした。翌年の2005年のM1はとても速くて、今年の2008年型バイクと並ぶ最高の仕上がりだったと思います。
来年になればストーナーが強さを取り戻すだろうと思います。恐らく彼はかつて自分が戦ってきたジベルナウなど、過去の全てのライバルたちと比べても最強でしょうね。自分はここまでに何年も実績を積んできたつもりですが、去年は一部の人たちが「バレンティーノはもう終わった。ケーシーこそが新しいバレンティーノだ」と思っているのを知り、本当に残念に思いました。
以前から言っていますが、バイクに乗るのをやめるまで、自分の目標は勝利だけです。今の生活が本当に気に入っていますし、全力を尽くして常に頑張り続けたいと思います。
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