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2006年10月31日
コニカミノルタ・ホンダチームが、ついに2007年シーズンに向けてのライダー・ラインナップを公表した。ライダーは、カワサキ・レーシング・チームでの3年間の活動を、先日のバレンシアでの最終戦で締めくくった中野真矢選手だ。
■カワサキからホンダへの移籍を正式発表
コニカミノルタ・ホンダチームは、10月26日にTECH3ヤマハへの移籍を発表した玉田選手に替わり、同チームから来期の800ccマシン(RC212V)に乗って2007年度から施行されるMotoGP800ccクラスに出場するライダーが、元カワサキ・レーシング・ライダーの中野真矢選手である事を、バレンシアGP翌日の10月30日に正式発表した。
■カワサキの後任ライダーはオリビエ・ジャックに決定
また、中野選手が今回の移籍を発表する前日の10月29日にカワサキ・レーシング・チームは、今期はカワサキのテストライダーとして800ccマシンの開発を行っていたフランス人ライダーのオリビエ・ジャックが、中野選手の後任ライダーとして2007年のMotoGPクラスに出場する事を発表している。
■中野選手のグランプリ経歴
中野真矢選手のグランプリ・デビューは1999年の250ccクラスであり、当時のヤマハTECH3チームからオリビエ・ジャックのチームメイトとしてフル参戦を果たした。中野選手は2000年も同チームで戦い、グランプリ出場2年目にして世界タイトルが確実視されていたが、最終戦でのチームメイトのオリビエ・ジャックとの激しいタイトル争いにコントロール・ライン上の僅差で敗れ、ランキングは2位に終わった。
■500cc最高峰クラスでルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得
その翌年の2001年にTECH3ヤマハチームは、250ccの時と同じチーム体制のままMotoGP最高峰クラス(当時の500cc)クラスにステップアップし、中野選手は最高峰クラスデビュー・イヤーとなった同年から3位表彰台を獲得し、ランキング5位の好成績を収め、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
全てのサテライトチームが2ストローク500ccバイクに乗り、ワークスチームのみが4ストローク990ccマシンで参戦するという不均衡な戦いとなった2002年、ヤマハ・ゴロワーズ・TECH3チームはシーズン後半にのみ4ストロークのヤマハYZR-M1が支給されるという苦しい1年を過ごしたが、中野選手はシーズン終盤には4ストローク・バイクを高いレベルで乗りこなすという高い順応性を見せ、翌年への高い期待を示した。
■海外スポンサーの意向やヤマハ4ストロークに関する苦悩の時期
再び最高峰クラス・デビュー時と同等以上の活躍が期待された2003年、アレックス・バロスのTECH3ゴロワーズ・チームへの移籍にまつわるスポンサーの問題などにより、TECH3チーム監督のエルベ・ポンシャラルの本来の意向に反する形でチームを追われる形になった中野選手は、その前年までノリックこと阿部典史選手が所属していたヤマハ・ダンティーンに移籍し、単独ライダー体制で1シーズンを戦っている。
2003年の開幕戦から怪我で苦しんだアレックス・バロスは、2004年にはゴロワーズ・ヤマハとの2年契約を一方的に破棄してホンダに復帰し、この問題はスポンサーとバロスとの裁判問題にまで発展した。さらにはバレンティーノ・ロッシがホンダからヤマハへの移籍発表をシーズン終盤まで公表できなかった時期でもあり、これらの影響によって、2004年に向けてのストーブ・リーグ中はヤマハ側のシートが不透明になるという状態が続いた。
■カワサキへの移籍を決断
ヤマハでのシート確保はほぼ問題ないと言われていた当時の中野選手は、この政治的な問題の決着を待たずして、当時オファーのあったカワサキ・レーシング・チームへの移籍を決意している。ちなみに、2003年のこの時期のヤマハ・ワークスはYZR-M1の開発に苦しんだ時期でもあり、当然そのサテライト陣営も同様の苦しい戦いを強いられた。現在ホンダでトップクラスの活躍を見せるマルコ・メランドリも、TECH3ヤマハに在籍した2004年は成績不振に苦しんでいる。
中野選手は2004年から今期までの3年間をカワサキ・レーシング・チームで過ごし、その開発能力から一躍カワサキと中野選手本人が大きく脚光を浴びる結果となった。2004年当時の全くカワサキに活躍が期待されていなかった開幕戦の予選において、中野選手が予選中盤にトップタイムをマークする等の予想外の結果に、ヨーロッパのメディアは揃って驚きの声を上げた。
■世界が認めた中野選手の最高峰クラスでの実力とホンダへの移籍
カワサキへの移籍初年度の2004年には990ccクラスで自身初となる日本での3位表彰台、今期2006年には2位表彰台を獲得し、日本では元々定評のあった優れた開発能力と安定したライディング能力を、カワサキのライダーとして世界にも知らしめる事となった中野選手は、満を持して初のホンダのマシンを駆ることとなるコニカミノルタ・ホンダへの移籍を今回発表した。
中野選手のRC212V(ホンダ800ccマシン)初ライドは、11月28日から30日のヘレスで行われる。
■中野選手「目標はタイトル獲得」
ヤマハとカワサキでの経験を経て、中野真矢選手は今回ホンダへの移籍が実現した事に大きく満足しているようだ。また、日本企業のスポンサーを持つという夢が同時にかなった事にも、喜びのコメントを残している。
「カワサキには3年間在籍しました。彼らのチームでの活動内容と、成し遂げた開発や成果にはすごく満足しています。ただ、自分には新しい目標が必要だと感じ始めていました。」と中野選手。
「その意味でも、大変に難しい選択だったのは事実ですが、コニカミノルタ・ホンダチームからのオファーはとてもいいタイミングでした。」
「ホンダと一緒に仕事をできるのがものすごく楽しみです。オートバイのNo.1メーカーですからね。また、JiRという自分にとって新しいチームで戦える事をとても嬉しく思います。」
「可能な限り多くの表彰台が獲得できるように頑張るつもりです。今シーズンの目標はタイトル獲得を狙って戦う事です。まだ一度も800ccマシンをテストしたことはありませんが、優れたハンドリング性能と高いコーナリング・スピードが得られると予想しています。もしそのマシン特性への予想が正しければ、自分のライディングスタイルにはぴったりでしょうね。」
「新しい技術スタッフにお会いするのと、一緒に働ける事が今から待ちきれません。多くの経験を持つ専門家集団だと聞いています。彼らから色々学び、それを自分の8年間のMotoGPでの経験とあわせる事で、いい結果につなげる事ができると思います。」
「また、コニカミノルタ社のような日本のスポンサーを持てる事が自分の夢でしたから、本当に幸せです。今回のチームのおかげでやっと実現しました。」
■モンティロン「自分たちの目標達成にはシンヤが不可欠」
コニカミノルタ・ホンダの責任者であるジャンルカ・モンティロンは、チームの今後の目標達成には中野選手の才能と経験が不可欠である事を述べ、2007年度に向けての開発計画もすぐにスタートする事を発表した。
「シンヤが私たちの提案を受けてくれた事に、心から満足しています。」とモンティロン。
「日本人ライダーと共に開発を続けてきた私たちのMotoGPプロジェクトを今後も継続するに当たり、彼を選択できたのは最良の出来事でした。」
「玉田誠選手が私たちとの活動を通して残してくれた素晴らしい実績に対し、ここで改めて感謝を申し上げます。私たちはお互いに新しい目標が必要な時期に達していたと思います。」
「チームの全てのスタッフは、シンヤと仕事を始める事をとても楽しみにしています。また、新しいバイクにおける来期の活動体制もすぐに組織され始動します。私たちは新しいライダーへの最大限のサポートを約束します。彼の才能と決意、それに経験は、みんなが必死で到達したい結果を実現するのに不可欠なものです。」
「コニカミノルタ技術陣営は、基本的に2007年も今年の体制と大きくは変わりません。」
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