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2007年10月12日
交通事故により10月7日に帰らぬ人となったノリックこと阿部典史選手の思い出を、現役MotoGPライダーを含むホンダ関係者が、オーストラリアGP初日の10月12日に追悼の言葉として発表している。
ホンダの公式リリースとしてコメントを発表しているのは、ノリックのデビュー時の走りに衝撃を受け、13歳の時に何度もそのレースをビデオで見直したというレプソル・ホンダのニッキー・ヘイデン、グランプリ最高峰クラスの5連続チャンピオンであり、ノリックのグランプリデビューから500ccの時代を共にしたミック・ドゥーハン、ヤマハ時代の後輩であり、現在はコニカミノルタ・ホンダで戦う中野真矢選手、ダニ・ペドロサのチーフ・クルーであり、1994年はレースでノリックとのバトルを演じたアルベルト・プーチ、ノリックのTECH3ヤマハ時代のメカニックであり、現在は青山周平選手のチーフメカニックを務めるジル・ビゴーの5名だ。
以下にその言葉を紹介する。
■レプソル・ホンダ ニッキー・ヘイデン
ノリックを相手にレースで戦ったのは本当に短い期間に過ぎませんが、僕にとって何よりも強い彼の印象と言えば1994年の日本GPです。あの時の自分はまだ13歳でダート・トラックのレースに出場していた頃です。
アメリカでは生中継じゃなかったので、自分のモーターホームの中で録画を見ましたが、それを見た時には「あの髪の長いやつは一体何者だ?!」って叫んでいました。ミック・ドゥーハンとケビン・シュワンツを相手に互角に戦ってるライダーが、ワイルドカード出場だっていうんです。あのビデオは何回も繰り返し見ました。
彼が亡くなったなんて本当に悲しいです。今の時点では、それしか言葉がありません。
■最高峰500ccクラス5連続チャンピオン ミック・ドゥーハン
本当に悲しいです。
ノリックを1994年の日本GPで見た時にはクレージーなのが出てきたと思いましたね。日本GPの直後に彼はヤマハに移籍してしまったので、彼とはあまり話す機会はありませんでしたが、その後の彼はパドック内の全ての人から愛されていました。
彼はレースでもあまり転ばないライダーでしたから、交通事故に巻き込まれてしまうなんて、本当に不運に見舞われたのだと思います。
非常に悲しいです。ご家族の方には、心よりお悔やみ申し上げます。
■コニカミノルタ・ホンダ 中野真矢選手
ノリックさんにはトップライダーとして憧れていました。同じクラスで戦うようになってからはライバルでしたが、常にあの人のアグレッシブなライディング・スタイルには感動していました。
亡くなったと聞き本当にショックです。世界のレース界にとっての大きな損失です。全日本選手権をこれからもり立てていかれるのだとばかり思っていました。
本当に残念でなりません。
■ダニ・ペドロサのアドバイザー兼チーフ・クルー アルベルト・プーチ
1994年のシーズン中はノリックと何度もレースで戦っていますし、ブルノでいいバトルを互いに演じた事を良く覚えています。
彼は加速時にマシンを立て直すのが非常にうまいライダーでした。ライディング・スタイルが変わっているのにものすごく速いんです。すごく才能のあるライダーでした。
照れ屋でしたが、すてきな青年でした。
他のみんなと同様に、話を聞いて大変なショックを受けています。本当に悲しいです。
■ノリックの2004年TECH3時代のメカニック ジル・ビゴー(現在は青山周平選手のチーフ・メカニック)
ノリックとは2004年にヤマハで一緒に働きました。
彼はサンデー・レーサーでした・・・と言うのは、彼は金曜日と土曜日は普通にしているのに、日曜日の朝になると突然アドレナリンがあふれ出して集中力が急激に高まるんです。
2004年シーズンの終わりに、彼は私に思い出の品としてヘルメットをくれましたが、それを今でも家に保管してあります。
バレンシアでレースがあった時に彼は私の家に来たんですが、その時に私は彼が出場した1994年の鈴鹿のポスターを差し出して彼にサインをねだったことがあります。そしたら彼は1994年の日本グランプリに関する品物を何一つ持っていないと言うので、結局、私から彼にそのポスターをプレゼントする事になりましたが。
彼がいなくなり、本当に寂しく思います。
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