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2007年2月4日
カワサキが、ハラルド・エックル元MotoGPチーム監督との和解を発表した。
ここでは、昨年末からのカワサキとエックル氏の関係悪化の経緯と、今回の和解に至るまでの流れを順を追って説明したい。
■昨年末からのカワサキとエックル氏の動向
カワサキ・レーシング・チームは、2006年シーズンまで同チームの監督を務めていたハラルド・エックル氏が、MotoGPにおけるカワサキの敵対チームと深く関わっていた事などを理由として、当初は予定されていたエックル氏やその関係会社との2007年シーズンにおける協力体制を打ち切り、今年からのカワサキのMotoGPチーム運営に関する全指揮権を、依田一郎レーシング・ディレクターに移す事を昨年の11月29日に発表していた。
このカワサキの公式発表の1ヶ月ほど前から、ヨーロッパの多くのメディアはカワサキがエックル氏を解任するとの噂を事前情報として報じており、その当時にハラルド・エックル氏は、「カワサキは私がイルモアに何らかの情報を流したと考えているようです。私はそのような裏切り行為について全く身に覚えがありませんが、今回の件はそれが理由です。」と述べている。
■以前からあったヨーロッパでの噂
カワサキとエックル氏との関係が深刻化する以前から、ヨーロッパで実しやかに報じられていた内容に、「イルモアの初代監督はエックルが担当する」という噂があった。イルモアの初代MotoGPマシンであるイルモアX3の開発リーダーは、2004年のカワサキNinja ZX-RR開発の一部を委託されていたエスキル・シュターが担当しており、シュターとエックル氏は以前から親しい間柄である事から、実現の可能性は低くない情報として取り扱われていた。事実、2輪グランプリの世界に多くの経験を持たないイルモアは、MotoGPや2輪ロードレースの経験が豊富なチーム監督を探していたようだ。
■最終的にイルモアはコスワースから監督を選択
しかしながら、カワサキのエックル氏解任の発表を受けるようにしてイルモアが昨年の12月4日に発表した監督名は、2輪ロードレースの経験者ではなく、イルモアのF1における活動の母体だったコスワースのチーフ・エンジニアを努めていたマイク・ジェーンズだった。実際にハラルド・エックル氏が候補に上がっていたかどうかは不明だが、イルモアのオーナーであるマリオ・イリエンは、多くの候補者の中から慎重にF1時代からの旧友であるマイク・ジェーンズを最終的に選んだとしている。
この後、カワサキからの解任理由の公式発表を受けたエックル氏は、「カワサキの声明文には本当に驚きました。弁護士にまかせているのであまりコメントはしたくありませんが、非常に残念で辛い事です。」と述べており、何らかの法廷闘争に発展するのではないかとの憶測も飛び交っていた。
■両者は和解に合意
この状況を多くのメディアが見守る中、カワサキは2月2日に、ハラルド・エックル氏のコメントを含む両者の和解の内容を、以下の通り公式発表している。
MotoGPにおける協力体制を昨年の11月に突然中断してから数ヶ月の間に、日本の二輪メーカーであるカワサキとハラルド・エックル氏は、互いに多くの議論を重ねた末、この論争は解決の道に辿り着きました。
カワサキとの協力関係が終了するに至った経緯についてエックル氏側が謝罪を申し入れた後、交渉は日本に持ち込まれ、カワサキとエックル氏は今回の問題解決に取り組みました。両者は、今回の交渉が建設的な結論に至った事を認めており、法廷闘争にまで発展する事が避けられた事を幸いだったと考えています。
なお両者は、今回の件に関するいかなる内容も、公にはしない事に合意しています。
(KAWASAKI RACING TEAM PRESS OFFICE)
今回の公式発表は、以下のハラルド・エックル氏のコメントで締めくくられている。
「何年間にもわたる協力体制が、最終的には良い形で終わった事を大変に嬉しく思います。カワサキの今後の活躍を心よりお祈りいたします。」
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