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2007年1月7日
2006年に2度目のSBKチャンピオンに輝いたドゥカティー・ワークスのトロイ・ベイリスが、2003年に同じくドゥカティー・ワークスのライダーとしてチャンピオンを獲得したニール・ホジソンから、とある疑いをかけられて困惑している。
■平穏な冬休みに小さな波紋
2005年末はマックス・ビアッジがMotoGPでシートを失い、SBKへの移籍をほのめかしたまま結局ビアッジは2006年シーズン中にどのチームとも契約を結ばなかった関係から、一昨年末から昨年の初旬にかけてのMotoGPとSBKにおけるストーブリーグは、かつてない程の混迷を呈した。それとは対称的に、今年はマックス・ビアッジのSBK入りも決定し、両カテゴリーの主要チームは早くから2007年シーズンに向けての体制を発表した事から、両カテゴリーの関係者は、ともに現在は比較的静かな冬季休暇を過ごしているようだ。
■ホジソン「ドゥカティーに入れないのはベイリスの妨害」
このニュースの少ない静かな冬休みの昨年12月から現在の1月にかけて、ヨーロッパの多くのメディアがこぞって取り上げているのが、元SBKチャンピオであり英国人ライダーのニール・ホジソンが本人のホームページ上に書き込んだこの言葉だ。以下にその一部を、ホジソンの公式ホームページの12月1日の書き込み内容から引用する。
「僕は今無職なんです。」とホジソン。
「ドゥカティー・コルセ(ワークス)から、2007年のSBKシーズンに僕は必要ないとの返事をもらった事で、自分のレース人生は思いもよらない事態に突入しました。」
「彼らが僕の申し入れを断った理由は、トロイ・ベイリスがドゥカティーのチームメイトとして彼の立場を脅かすような強敵を迎え入れないように、チームに圧力をかけているからですよ。」
■ベイリスに負けず劣らぬドゥカティストのホジソン
ちなみにニール・ホジソンは、現SBKチャンピオンのトロイ・ベイリスに負けず劣らぬドゥカティストとして知られている。MotoGPのドゥカティー・ワークスに移籍したベイリスの後任ライダーとして2003年にドゥカティー・コルセからSBKに出場し、その年に世界タイトルを獲得したホジソンは、昨年のAMA(米国ロードレース選手権)までの過去8年間を通してドゥカティーのマシンで走り続けてきた。
ホジソンは、先に紹介した本人のホームページ上で、今年はドゥカティーのマシンでシートを確保する事ができずに、他のメーカーに移る以外に道が残されていない事を深く嘆いている。
■原因はドゥカティーのAMA撤退
今回の騒動の発端は、ドゥカティーが2006年を最後にAMAからの撤退を表明した事にある。ホジソンは2003年にSBKでチャンピオンを獲得した翌年の2004年はSBKに参戦しておらず、この時は現ハンスプリー・テンケイト・ホンダのジェームス・トスランドがドゥカティー・ワークスで2004年のSBKタイトルを獲得した。この年にダンティーン・ドゥカティーからMotoGPに参戦を果たしたホジソンは、さらに翌年の2005年にはAMAに渡り、ドゥカティーのライダーとしてこの2年間を戦ってきた。
ドゥカティーにこだわるホジソンは、ドゥカティーと同じく自分も昨シーズンを最後にAMAから撤退し、2007年にはトロイ・ベイリスのチームメイトとしてSBKに復帰、参戦しようと考えていたという。しかしながら、ドゥカティーからもらった回答は「NO」であり、これは彼にとっては全く予想をしなかった結果だったようだ。本人の言葉通り、ホジソンはこれをベイリスの仕業だと決め込んでいる。
■ホジソンの誤算
そもそものホジソンの誤算は、2006年シーズンを不調のまま終えたロレンツォ・ランチが、2007年にドゥカティー・コルセのシートを確保できないと信じていた事かもしれない。ランチはドゥカティーが発掘した期待の若手イタリア人ライダーであり、ワークス2年目における成長と活躍に変わらぬ期待が持たれている。
実現はしなかったものの、MotoGPのドゥカティー・チームが今年のラインナップに、ロリス・カピロッシとマルコ・メランドリのイタリア人2名体制を計画していた事からも分かるように、ドゥカティーが望むのは純イタリア産チームによる打倒日本メーカーだ。初年度の低迷程度では、SBKカテゴリーに数少ない期待の持てる母国の若手ライダーを、そう簡単にドゥカティーは放出しない。
■BSBからのオファーは辞退し、SBK出場に希望を残すホジソン
現在のホジソンはドゥカティーでのシート確保をすでに諦めており、他のメーカーからでもSBKへの復帰を果たしたいと考えているようだ。AMA撤退と同時に母国BSB(ブリティッシュ・スーパーバイク選手権)のリズラ・スズキ・チームからのオファーをホジソンは受けているが、彼はこれを辞退しており、本人のホームページで以下の通り語っている。
「リズラ・スズキからBSBで戦わないかとオファーを貰い、とても悩みましたがお断りしました。これが間違った決断ではなかった事を今は信じたいです。」
この結果、リズラ・スズキはホジソンと同じく英国人ライダーであり、昨年までカワサキでSBKを戦っていたクリス・ウォーカーをチームに迎え入れている。
■ホジソン「もうみんな僕を覚えていないの?」
今のホジソンの悩みは、2003年のSBKチャンピオンであるにもかかわらず、あまり多くのSBK主要チームからオファーが得られなかった事のようだ。1月2日にホジソンは本人のホームページ上で、昨年までフォギー・ペトローナスを運営していたカール・フォガティーの新生チームで2007年のSBKを走る可能性が高いと述べる中で、以下の通りぼやいている。
「2年間アメリカで走っている間に、みんな僕の事を忘れてしまったのかな。今の僕に必要なのは、世界タイトルが今でも取れる実力を証明するチャンスを与えてもらう事だけなんです。」
■最後の希望のフォガティーだが・・・
では、昨年は2007年のSBK参戦に向けてのスポンサー獲得に奔走していたカール・フォガティーの現在の状況はどうだろうか。昨年の12月28日に英国のロードレースサイトであるMCN(www.motorcyclenews.com)がフォガティーのコメントを紹介しているが、どうやら2007年シーズンへの参戦見通しは現在でも立っていない様子だ。その中でフォガティーは、年末のSBK合同テストに参加できなかった事を嘆きつつ、以下の通り語っている。
「ずっと話をうまく進めてきたつもりでしたが、(昨年内に)チャンスは訪れなかったようです。」とフォガティー。
「(年末の)テストまでに話がまとまらなかったのも痛いですね。仮に昨シーズンと同じバイクを使用する場合でも、テストができないのはいい状況とは言えません。今は交渉を続ける努力をするのが先なので、それを嘆いても仕方ありませんけどね。」
■フォガティーはトスランドに注目
フォガティーは昨年中に2007年シーズンの計画として、2004年のSBKチャンピオンであるジェームス・トスランドがMotoGPに参戦するのであれば、資財を投じてチームを編成し、彼を出場させても良いとコメントしていたが、ホジソンのために自らの資産を投じる計画はなさそうだ。いずれにしても、現段階においてもニール・ホジソンが今年のSBKで走れる保証はまだどこにもない。
■トロイ・ベイリス「私を過大評価しすぎ」
最後に、ドゥカティーに圧力をかけてホジソンを追い出したという疑いをかけられたトロイ・ベイリスが、12月31日に本人のホームページ上でこの件に関するコメントを発表しているので、その内容を紹介したい。
昨年の2006年には、2度目のSBKタイトルを獲得してドゥカティー・コルセからは2年間の契約延長を申し入れられ、スポット参戦したMotoGPの最終戦ではバレンティーノ・ロッシとニッキー・ヘイデンの年間タイトル争いを後方に従えてレースを優勝するという快挙を成し遂げて幸せな1年を送ったベイリスだが、この年の最後の最後に嫌な気分を味わう事になってしまったようだ。
「3年ぶりに家族とオーストラリアでクリスマスを楽しむ事ができました。ここでは本当に楽しい毎日を過ごしています。つい3日前はキムに、もうヨーロッパには戻りたくないって喋っていたくらいですからね。」とオーストラリア人ライダーのベイリス。
「ニール(ホジソン)には僕の2年間の契約を君に譲るよって電話で話そうと真剣に思いました。でも、色々考えていくうちに、何よりもまだ自分は勝ちたいと思っている事が分かったのでやめましたが、その時は本気だったんです。誰も信じてくれないでしょうけどね。」
「話を知ったのは今日ですが、ニール・ホジソンは、私が彼をSBKのドゥカティー・ワークスに入れないように動いたと考えているようです。また、同様にアレックス・バロスも、私に(SBKドゥカティー・ワークス入りを)妨害されたと思っているようです。」
「彼らは私の影響力を過大評価しすぎです。自分は大きなチームの中の1つの小さな歯車(one small piece in a big team)に過ぎません。誰がどのチームに入るかは、様々な要素を元に多くの人々が検討して決定しているのです。」
「ここは人を批判する場所ではないので、この話はこのくらいにしておきます。」
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