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2006年10月24日
コニカミノルタ・ホンダチーム(JiR)は、今期を以て玉田誠選手が同チームを離れる事を、10月24日に正式表明した。
■2004年のブリヂストン・タイヤとの輝かしい記録
玉田誠選手は、2003年からブリヂストンを履くプラマック・ホンダ・チームに所属し、現在のコニカミノルタ・チームの設立メンバーと共にMotoGP最高峰クラスでの活動を開始した。
2004年に同チームはキャメル・ホンダ・チームの一部となり、同年に玉田選手は日本とブラジルの2回のグランプリで優勝を果たすなどの活躍を見せ、ブリヂストンに最高峰クラスで初の勝利をもたらしている。この年の玉田選手の年間ランキングは6位だった。
■ミシュラン・タイヤに変更後の苦戦
2005年に同チームは独立してJiRを立ち上げ、タイトル・スポンサーにコニカミノルタ・ホールディングス株式会社を持つコニカミノルタ・ホンダ・チームとなり、タイヤをブリヂストンからミシュランに変更している。
その後の活躍が期待された玉田選手だったが、コニカミノルタ・ホンダとしてミシュランタイヤを駆るホンダRC211Vで戦った2年間は怪我に苦しむ事が多いシーズンとなり、この間の表彰台獲得回数は、2005年の日本GPでの3位表彰台1回のみに終わっている。
■玉田選手は4年間の同チームでの活動に自ら終止符
コニカミノルタ・ホンダ・チームは今回の発表の中で、玉田選手の意志を尊重し、来期の2007年に向けては、玉田選手との契約を延長しないとする決断に至ったと述べている。また同時に、チームは玉田選手がMotoGPの歴史の中、RC211Vで戦った最高の日本人ライダーである事を強調し、来期に向けてライダーを探す他のMotoGPチームに対してのアピールを行いながら、これまでの玉田選手のチームへの貢献に感謝するとのコメントを発表した。
■モンティロン「玉田選手の今後の活躍を願う」
玉田選手がMotoGPクラスに参戦して以来、共に活動を続けてきたJiRの責任者であるジャンルカ・モンティロンは、玉田選手が実力を発揮できるチームで、今後もレース活動を続けて欲しいとコメントした。
「マコトと過ごした何年かに私たちが費やした努力と深い信頼、彼を常に全力でサポートしてきた思い出は、根強い感情として永久に私の記憶から消える事はありません。」とモンティロン。
「高いプロ意識に人間性を兼ね備えたマコトに感謝します。彼のおかげで、若い世代のライダーたちに貢献するプロジェクトを開始する事ができました。私たちのチャレンジはコニカミノルタ社の深い理解により開始されましたが、間違いなく、将来のさらなる発展に向けての第一歩を踏み出しています。」
「マコトの強い意志と信頼は、JiRのプロジェクトに大きく貢献しました。彼の意欲を反映する事のできるチームの中でレース活動を継続し、トップクラスの実力を彼が発揮できる事を願っています。」
「彼は今までとは別のところから、私たちに感動を与え続けてくれるでしょう。」
■玉田選手「チームにも自分にも新しい目標が必要」
前身期間を含む4年間のJiRメンバーとしての活動に終止符を打つことを自ら決断したという玉田誠選手は、チームへの感謝の気持ちを表すと同時に、本人にとってもチームにとっても、新しい熱意が必要な時期だと語った。
「完全に自分のために作られたチームの一員として過ごせた事は、大変に幸運だったと思います。」玉田選手。
「この4年間、共に働いたチームは最高でした。ライダーとしてだけではなく、一人の人間として、次の自分の将来に向けての多くの事を学ぶことができました。」
「最初は自然に物事が運び、優勝も経験しました。しかしながら、ここ数年のシーズンでは自分たちの実力通りの結果が出せなくなった事で、自分だけではなく、恐らく他のメンバー全員にとっても、新しい目標(熱意)が必要になった事を理解しました。」
「この決断に至った理由は、チームが自分に対してしてくれた事を良く理解しているからこそ、今が全員にとって新しい情熱が必要な時だと考えたからです。」
「コニカミノルタとホンダ、ならびにここまで支援をしてくれた全てのパートナーに対し感謝を申し上げます。また、自分の力を何年間も信じてくれたチームのメンバー全員と、全ての状況で重要な決断を下し、仕事への真の情熱を示してお互いの信頼関係を尊重してくれたルカ・モンティロンに、感謝の言葉を述べたいと思います。」
「バレンシアでは自分のチームであるコニカモノルタ・ホンダに敬意を表して、トップ争いをするつもりです。永遠に『自分のチーム』であるJiRの、今後の活躍を祈っています。」
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