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2006年2月12日 ShoppingOn編集部
前回のカタールでのテストでの主役はカルロスチェカと、彼の所属するTECH3ヤマハ・ダンロップチームだろう。
スペインas.comのカルロス・チェカインタビューによれば、当初決まっていたジェームス・エリソン以外にもう1人のライダーをTECH3で走らせるのに必要とされた金額は40万ユーロ、日本円にして約5,600万円らしい。TECH3チームオーナーのエルベポンシャラルは「安い金額(チェカへの報酬)になるが走ってみないか」と最初はチェカに申し入れた。
アルスタースズキとローマ皇帝の揉め事とは異なり、チェカ自身は金額には全く拘らなかったようだ。また、どうやらダンロップがチェカの開発能力に期待して、多くの金額を負担する事になったらしい。これはチェカの人徳にも多いに起因するところだろう。
TECH3が注目を浴びる中、チェカの今期のチーム・メイトとなったジェームス・エリソンに興味を持った方も多いだろう。昨年までの所属チームがWCMであり、なかなかレース映像に映る事も少ない彼だが、カタール最終日の記事で紹介した彼の謙虚で若者らしい発言に好感を抱いた方も少なくないと思う。ご存知の方も多いと思うが、彼は性格的にナイスガイなだけではなくなかなかのハンサムだ。
ここでは、モトクロス、自転車、ジョギングと水泳が趣味というイギリス人、ジェームス・エリソン(25歳独身)の経歴を簡単に紹介したいと思う。
彼は3歳にして初めてバイク(YAMAHA PW50)に乗り、初のレース参戦は15歳の時のイギリス・ジュニア・ロードレース選手権(HONDA MBX80)。初年度は8位に終ったが、翌年の同選手権ではCAGIVAに乗り年間3位を獲得している。
その後は国内の125cc選手権等を経て、19歳となる1999年からはヨーロッパ・スーパーストックに参戦。2000年に2勝(Honda Fireblade)、2001年には5勝(Suzuki)をあげている。また、2001年はMVアグスタの世界耐久における開発ライダーも同時に務めた。
2002年には現MotoGPカワサキのチーム監督であるハラルド・エックルのチームからWSSに参戦し、年間18位(KAWASAKI)。
翌年の2003年は彼にとって忙しいシーズンだったようだ。ヨーロッパ・スーパーストック選手権に参戦し、スポット参戦ながらも年間3位を獲得。世界耐久にも参戦しており、同年の鈴鹿8耐では4位(Suzuki)を獲得。AMA750ccスーパーストックにも2戦スポット参戦しており、それぞれ結果は12位と10位。また、その他のAMAカテゴリー(8位)など、いくつか参戦しているようだ。
2004年はハリスWCMからMotoGPにデビューし、同年の最高順位はカタールでの13位であり、念願のポイントを獲得。同年も多くの他カテゴリーに参戦しており、BSBのPrivateerカップ(主に戦績を稼ぐ事を目的として参加するレースであり参加申し込み費用は10戦あたり日本円で22万円程度)では1位。鈴鹿8耐では13位(YAMAHA-R1)。SBKもブランズ・ハッチでの2レースにスポット参戦しており結果は5位と6位(YAMAHA)。
2005年はWCMブラタからの参戦となったMotoGPに専念したが苦しいシーズンを過ごし、今年2006年はWCMから離れ、TECH3ヤマハからのMotoGP参戦が実現した。
ほとんど節操がないと思われる彼の経歴だが、バイクレースがよほど好きでない限りこの経歴にはならないだろう。おそらくセパンまではマシンがヤマハでもタイヤに問題があると思っていたに違いない彼だが、チェカのカタールでの走りを目の当たりにして今後の開発意欲も大きく変わったと思う。
2006年は何人かのルーキーに加えて、ジェームス・エリソンの成長に注目してみるのも面白いだろう。
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