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2006年1月2日 ShoppingOn編集部
既に色んなレース雑誌にも書きつくされ「今更」という感のある話題だが、日本人ライダーに愛される「56番」について、あえて恥ずかしながら書かせて頂きたい。
56番をつけたバイクと言えば、今や誰もがカワサキの中野真矢選手を、あの目玉ヘルメットと一緒に連想するだろう。また、94年世界GP鈴鹿の500cc最高峰クラスにおいて、NSR500でケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンと激烈なトップ争いを行い、世界中のGPファンの度肝を抜き、当時のバレンティーノ・ロッシを虜にした日本人のスポット参戦ライダーも、その時のゼッケンは#56だった。
中野選手やノリック選手だけではなく、56番を何らかの場面でつけていた日本の有名ライダーは多い。スポット参戦のライダーが50番台のゼッケンを付ける事は少なくないので偶然もあるだろうが、やはりこの番号は好んで選ばれる傾向があったようだ。
言うまでもなく、最近海外でも映画化された漫画「頭文字(イニシャル)D」の作者であり、自身も大のバイク好きで知られる漫画家、しげの秀一先生のデビュー作「バリバリ伝説」の主人公である巨摩郡(こまぐん)が、世界GP参戦の際に使ったゼッケンが56番だった事がその由来である。
通称「バリ伝」で知られるこの漫画は、1983年から講談社の「週刊少年マガジン」に連載され、当時はWGPやレプリカバイクの人気が全盛期だった事もあり、コミックス全38巻にもおよぶ大ヒット作品となった。一時期は愛蔵版として半分ほどの巻数にまとめられ、古典的な作品として売られた時期もあったが、「頭文字(イニシャル)D]のヒットにより、最近またバリ伝全38巻も書店に並ぶようになった。(2001年の8耐はテレビ局が「バリ伝」をテーマにした為、その時も一時的に全巻が書店に並んだ)
バリ伝は、峠の走り屋で知られる巨摩郡が、4耐および全日本を経てGPライダーとなり、NSR500で最高峰年間チャンピオンに輝くまでのストーリーだ。公道ライダー(広い意味で捉えて欲しい)からGPライダーまで辿り着いた実例と言えば、最高峰クラスで年間2位という日本人最高位の成績を残した岡田忠之選手(現在BSBで清成選手の監督兼コーチ)、日本人で初の250cc年間チャンピオンに輝いた原田哲也選手、ピザの宅配をしていてバイクの面白さに気がつき、そこから125ccの年間チャンピオンに2回輝いた坂田和人選手などが代表例だろうか。現役GPライダーで言えば、今話題のマックス・ビアッジも18歳にして初めてバイクに乗り、250ccの年間チャンピオンを4回獲得したという天才の一人だ。原田選手はポケバイの経験もあるので、このリストに入れるべきかどうかは少し悩むところだが。
この作品の素晴らしいところは、公道を走る峠ライダーたちに支持されただけではなく、実際に全日本を戦う若手ライダーたちからも愛読された事だ。通常、この手の作品は実際にレースを戦う人間からは「空想漫画」的な扱いを受けがちだが、バリ伝は違うようだ。宇川選手などはレース中に鈴鹿の130Rを走りながら、「巨摩郡はここのゼブラゾーンに乗り上げて立ち上がったが、それは無理だろう」と、彼の走法を思い浮かべた事があるらしい。中野選手も実際にGP参戦してから、レース中の描写のリアルさに改めて驚いたと言う。しげの先生曰く「全て想像で書いた」との事。作家の想像力には本当に感心させられる。
その他のライダーでは、玉田誠選手は小学校の時にこの漫画を読み、世界GPに憧れたそうだ。また、漫画をあまり読まないというSBKで世界的な人気を誇る芳賀紀行選手もこの作品だけは読んでおり、ライダーの心理描写の凄さに驚いたそうだ。
バリ伝の連載が終わってから既に10年以上が経過したが、未だに日本人の最高峰クラス年間チャンピオンは誕生していない。中野選手は公道ライダー出身ではないものの、その他の戦績は巨摩郡(通称ガン・ボーイ)に通じるものがある。中野選手が年間チャンピオンを獲得できれば、まさにゼッケン56のガン・ボーイ伝説が現実化するのだが。
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