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2007年10月2日
日本GPの1週間前となる9月16日のポルトガルGPにおいて、ウォームアップ・ラップ中のマシントラブルによりレース直前にスペアマシンに乗り換え、最後尾を走行中のレース12ラップ目に自発的に走行を中断し「モチベーションを維持できなかった」と発言した事から当日の晩に突如チームから解雇されたアレックス・ホフマンが、プラマック・ダンティーン・チームに解雇の取り消しを要求している。
■処分を不当解雇と主張するホフマン
今回、プラマック・ダンティーン・チームの処分を不当とし、解雇の取り消しを要求するアレックス・ホフマンから10月1日付けで発行されたプレスリリースの全文を以下に示す。ホフマンの要求は、次戦のオーストラリアGPからのMotoGP復帰だ(ホフマンの解雇に関する経緯は以前の詳細記事を参照)。
なお、ポルトガルGP直後の日本GPでは、全日本チャンピオンの伊藤真一選手がホフマンの後任ライダーを務めたが、次戦のオーストラリアGPから最終戦のバレンシアまでのシーズン残り3戦は、アメリカGPで負傷したホフマンの代役を急遽その場で務めたチャズ・デイビスが、ホフマンの後任ライダーとして出場する事を、プラマック・ダンティーン・チームは9月29日に発表したばかりだ。
■アレキサンダー・ホフマンからの10月1日付発表の公式リリース
チームから最近発行されたプレスリリースによれば、私はプラマック・ダンティーン・チームとのライダー契約をポルトガル・グランプリ決勝当日の晩(2007年9月16日)に急遽打ち切られた事になっています。
私はこの契約解除は不当なものであると考えており、この決定に対しては私の持ちうる全ての法的権利を公使して戦う所存です。
解雇の理由はレース当日の出来事ではなく、シーズンを通しての低い成績が根本的な原因だと記されていますが、怪我によりレースを欠場する直前の私のMotoGP世界選手権における年間ランキングは11位です。これはチームメイトのアレックス・バロスと比べても、当時は9ポイントの差しか開いていませんでした。
また、エストリルでの私の行為も、決して正当な解雇理由にはなり得ません。なぜなら、私の全ての努力は常にチームへの貢献に向けられており、だからこそ手の怪我が完治していない状態であってもレースに挑んだのです。
ウォームアップ・ラップでは、自分のメインバイクがクラッチに問題を抱えている事に気がつきましたが、その直後に乗り換えたスペアバイクには、自分がレース用に選んであったタイヤが装着されていませんでした。その事から、私はピットレーンからスタートする事によるラップタイム上のハンデの大きさに直面したのです。
オープニングラップでは11秒まで前との差が広がりましたが、それでも、私はその距離を縮める事に全ての努力を費やしました。しかしながら、その時に私の乗っていたスペアバイクでは、どうしてもその目標を達成する事は現実的に不可能だという事実を、不幸にして認めざるを得ませんでした。
私がその時に望めた事と言えば、他のライダーが転倒するか、テクニカル・トラブルに巻き込まれる事くらいです。負傷した手の回復過程への悪影響を考慮すれば、あの状況下においてそれ以上のリスクを冒す事はできないと私は考えました。私がレースを途中でリタイアするという決断をしたのはそれが理由です。
非常に残念で悔しく感じているのは、ポルトガルGPがああいう結果に終わった直後の私の本当の胸の内と、何が実際には起きていたのかを、あの時点では即座に正しく言葉として言い表せなかった事です。
2006年から2007年にかけて、プラマック・ダンティーン・チームに私の全てを何一つ惜しむことなく常時捧げてきた事を考えれば、私に事前の通知があって然るべきだと思いますし、その場合にはこの一連の流れを受け入れたかもしれませんが、この突然の解雇通告を決して受け入れるつもりはありません。
私の目標は、今シーズンをチームのために完遂する事です。そしてオーストラリアGPが開催される10月12日から14日のフィリップ・アイランドより、プラマック・ダンティーン・チームのためにレース活動を再開する事です。
私はこの要求を明記し、イタリアとオランダの雇用主に送付しました。自分をMotoGPのライダーとしてチームに復帰させる事と、既存の契約を最後まで果たすように彼らには要求しています。
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