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2006年12月11日
2002年から始まったMotoGP最高峰クラスの990cc4ストロークのレギュレーション(使用バイク規約)は今年の2006年シーズンで終わりを告げ、来年の1月1日からは800cc4ストロークの新レギュレーションが採用される。
■MotoGP800cc時代の幕開け
また、これと同時に、2001年までの最高峰クラスの代名詞だった500ccマシン、すなわち2ストローク・エンジンの使用も全面的に禁止される。同じく、ホンダが1979年から4ストロークの500ccマシンで果敢に2ストロークの同排気量マシンに挑んだ楕円ピストンの使用も来年から禁止だ。
■ヤマハの990ccマシン、YZR-M1開発の歴史
ヤマハは2006年シーズンの終わりに、2002年から2006年までの990ccマシン開発の総括を、テクニカル・プレゼンテーションとしてまとめ、それを各国のプレスに公開している。ここでは、その内容から抜粋したヤマハの990ccマシンであるYZR-M1の5年間の進化の歴史に、それぞれの時代背景を加える形で紹介したい。
■2002年の初年度、YZR500ベースのシャシーに並列4気筒エンジン
ヤマハのYZR-M1開発の主な要素は、他の多くのメーカーと同様に3つに分かれる。シャシーとエンジン、それにライダーの操作性や走りの感覚に貢献する電子制御システムのEMS(エンジン・マネージメント・システム)だ。
2002年にマックス・ビアッジがヤマハから参戦した時のYZR-M1のシャシーは、その前年度まで使用されていた500ccマシンであるヤマハYZR500のものがベースとして使用されていた。その中心に配置されていたのが、新開発の並列4気筒4ストローク990ccエンジンだ。
■電子制御はエンジン・ブレーキの抑制に集中
EMS等の電子制御システムは、この当時はまだエンジン・ブレーキ制御のみに各メーカーが集中していた時期であり、ヤマハもその例外ではない。
前シーズンまでの2ストローク・マシンとは異なり、4ストローク・マシンはスロットルオフと同時にエンジン・ブレーキが大きく発生する。この強大なバックトルクの軽減を実現しない事には、かつての500ccのマシンに慣れたライダーが走りの実力を発揮できない。メーカーはこの時期に試行錯誤を繰り返しながら、現在のMotoGPマシンでは実現されている高度なエンジン・ブレーキ制御の基本を研究し、現在まで改善を続けてきたと言える。
■当初から先行開発が進んでいたとされるホンダとの戦い
その一方で、同じ年にデビューしたホンダのRC211Vは、新開発の5気筒V型エンジンだけではなく、シャシーを含めて全て専用設計のパーツで構成されており、エンジン・ブレーキ制御におけるEMSまわりの完成度も他と比べて一歩進んでいたと噂されている。
2001年に最高峰クラス2年目にして500cc最後のチャンピオンとなったホンダのバレンティーノ・ロッシは、2004年にヤマハに移籍するまでの2年間、どこからでも前方の全てのバイクをRC211Vで抜き去り、ヤマハを含む他の多くのライバルが全く太刀打ちできない程の余裕の勝利を重ねる事になる。
■4ストローク・マシンの導入と共に勝てなくなったヤマハ
ロッシの実力もさる事ながら、ヤマハにとって最大のライバルであるホンダが、990cc4ストローク・マシンの開発とその完成度において、スタート地点から圧倒的優位にあった事は誰も否定出来ない事実だろう。
4ストローク初年度のこの年のヤマハの勝利は、マックス・ビアッジがチェコとマレーシアで獲得した2勝のみだ。ビアッジはこの年を最後にヤマハを離れ、当時宿敵と言われたバレンティーノ・ロッシがワークスライダーを務めるホンダへの移籍を決意している。
■不遇の1シーズンを過ごしたサテライト陣営
4ストロークと2ストロークが混走した初年度は、多くのサテライト陣営が苦労を強いられた時期でもある。ワークスチーム以外のライダーはシーズン後半まで4ストローク・バイクが与えられず、既に非力となった2ストローク500ccマシンを限界チューニングして戦い、無理をするライダーも目立った。
また、2002年シーズン終盤に4ストローク・マシンを与えられて活躍したサテライト・チームは、主にRC211Vを手にしたホンダ陣営であり、まだ未完成と言える当時のYZR-M1をすぐに乗りこなして活躍したヤマハのサテライト・チームのライダーは殆ど存在しない。
■2003年、ヤマハはキャブレターを廃止してインジェクション化
4ストロークGP2年目となる2003年、ヤマハのマシンの最も大きな変更点は、エンジンについてはキャブレター廃止と電子制御インジェクション(燃料噴射装置)の導入だ。また、ピストンの上下移動距離であるストロークは年々短くなっており、高回転性能とエンジン出力の向上が図られている。
ヤマハYZR-M1のシャシーの特徴は、ショート・ホイール・ベースとロング・スイングアームだ。ヤマハは2年目以降もこの特徴を活かしてマスの集中化(重量の1点化)を進めており、コーナリング時の慣性モーメント(遠心力の影響を受ける重量エネルギー)を低減する事でハンドリング性能を高めている。
■初年度以上のホンダの圧勝に終わる2003年とヤマハの暗黒期
ヤマハはYZR-M1の開発を進め、4ストロークGPマシンとしての熟成を急ぐが、当然の事ながらホンダのRC211Vも絶えず進化を続けていた。
ホンダが初年度に引き続いて快進撃を見せる中、ビアッジの穴を埋めるべくホンダからワークス待遇でゴロワーズ・ヤマハに移籍してきたアレックス・バロスは、開幕戦の鈴鹿のウォームアップで転倒して靱帯を痛め、年間を通して不調のシーズンを過ごしている。結局バロスが2004年にゴロワーズとの契約を途中で破棄し、ホンダに戻るという騒ぎもこの時期に起きた。
ワークス・ホンダとサテライト・ホンダがRC211Vで表彰台を独占する中、ビアッジを失ったヤマハの2003年の表彰台獲得回数は、アレックス・バロスの3位表彰台の1回のみであり、ヤマハ全体の優勝回数はゼロだった。
■2004年、ロッシとバージェスがヤマハに
2004年はMotoGPクラスの変革期とも言えるシーズンだろう。言うまでもなく、ホンダで990cc初年度から圧勝を続けたMotoGPクラスの王者であるバレンティーノ・ロッシと、そのメカニックであるジェレミー・バージェスが、その前年にはゼロ勝だったヤマハに移籍した年だ。
評論家の多くはこのロッシのチャレンジを「無謀」だと断定した。ヤマハのマシンをテストする前のロッシ本人も、移籍当時は「1年目の勝利は無理だろう」とコメントし、逆にホンダのマックス・ビアッジは「年間タイトル獲得のチャンスが訪れた」と述べている。
しかしながら、実際に2004年の年間タイトルを獲得したのは、ヤマハに移籍したばかりのバレンティーノ・ロッシだった。ロッシの希望通り、彼はホンダのマシンに乗らなくても、990ccクラスで圧勝できる事を世界に証明している。
この年のマシンの初期の開発コンセプトを、ロッシとバージェスが確認する時間はなかった。従って、基本的にシャシーは2003年の延長上にあるが、エンジンの特性は2004年から大きく変更されている。
■4バルブ化と不等間隔爆発
ロッシ以前のヤマハYZR-M1と、2004年以降のマシンの最も大きな違いは、バルブ数と各シリンダー内の点火タイミングにある。
当初のヤマハの5バルブ4気筒の等間隔爆発エンジンは非常に過激な出力特性を示しており、ライダーには扱いにくい事から、2004年にロッシは苦労すると誰もが予想していたという。
ところが、ヤマハは2003年のシーズンが終了から同年の12月後半までの間に、これを不等間隔爆発にするという大きな変更を成し遂げている。バルブ数も5つから4つに変更され、出力特性はマイルドなものに変わり、ライダーにとっての扱いやすさが向上していた。
2004年最初の1月のセパンでロッシから賞賛されたこのエンジンだが、その後ヤマハのエンジニアたちは馬力のアップには苦労したようだ。最終的には更なるショート・ストローク化で高回転を実現する事で馬力を確保し、同時にバルブの開閉機構はチェーン式からギア・トレインに変更されている。
■進化するEMS、トルク制御とトラクション制御も
電子制御のEMSとしては、エンジン・ブレーキの制御のみではなく、トルク制御とトラクション制御機能も加えたICS(アイドリング制御システム)を、2004年からヤマハのYZR-M1は搭載している。
一部では、ロッシはこれらの電子制御を嫌い、当初は機能をオフにして戦ったと噂されているが、真偽の程は不明だ。
■2005年、ヤマハのMotoGPクラス初の防衛戦
バレンティーノ・ロッシのヤマハ2年目の2005年、この年はヤマハ・ワークスにとってはMotoGPクラスで初のタイトル防衛を意識したシーズンだ。また、2005年型のYZR-M1こそが、初期の開発コンセプトからロッシとバージェスの意向が反映された初のマシンと言える。
なお、この年は22リットルの燃料制限がレギュレーションに新たに記載された年でもあり、燃費を考慮した結果、エンジン出力の成長率は2002年から2004年の傾向よりも下がっている。ちなみに、2002年のマシンと比較すると、今年2006年のヤマハのエンジン出力はおよそ35馬力向上しており、エンジン回転限界は3000rpmも増えているという。
■ヤマハの連覇とロッシの快勝、レプソル・ホンダの苦悩
2005年型YZR-M1は、ロッシの念願通りヤマハの2年連覇を達成している。ホンダ時代を思わせるロッシの余裕の勝利から、非常に完成度の高いパッケージとして評価されるマシンだ。
この2005年はホンダのニッキー・ヘイデンと、ヤマハからホンダに移籍したマルコ・メランドリがMotoGPクラスで初優勝を遂げ、ホンダからの若手の台頭を予感させるシーズンとなった。皮肉にも、この年からホンダ・ワークスのエースとなったかつてのロッシの宿敵であるマックス・ビアッジは、シーズンを通してマシンの開発に苦しみ、この年を最後にGPシーンから様々な理由により姿を消す。
■シャシーの改良と更なるマスの集中化
ロッシとバージェスの意向が反映されたヤマハの2005年型マシンの最も大きな変更点はシャシーの改良だ。その他にも、燃料タンクの形状変更やエンジンの小型化、およびメーターパネルの電子機器等をエンジン側に寄せるなど、マスの集中化は更に進んでいる。
■シャシーの強度と柔軟性の両立
2005年より、スイングアームの近くにあるシャシー内側の補強材が省かれている。縦方向の剛性は従来と同等レベルの強さを確保しながら、横方向の剛性を抑えた柔軟な構造を実現しており、ねじれにも強いようだ。
また、シャシーのフロント部にはエアインテーク用の穴が開けられており、これによりエンジン性能の向上が実現しているという。
なお、2005年から2006年にかけて改良されたシャシーのこの基本構造は、2007年以降の800ccマシンにも引き継がれるという。
■2006年、予想外のヤマハの苦戦
近年希に見る波乱の展開となったのが、今年の2006年シーズンだ。ロッシのみならず、そのチームメイトのコーリン・エドワーズや、TECH3ヤマハでダンロップを履くカルロス・チェカのプレシーズン中の好調な走りは、990cc最後のYZR-M1の完成度の高さを想像させるのには十分だった。
逆にホンダはプレシーズン中に新型シャシーの調整に時間をかけており、IRTAテストが終盤に近づいても、新型マシンではあまりタイムが伸びない状態が続いていた。
■ヤマハ勢が開幕戦を目前に悲鳴、止まらないチャタリング
TECH3ヤマハのチェカは、プレシーズン中も内心ではダンロップタイヤの耐久性に関して悲鳴を上げていた様子だが、絶好調に見えたヤマハ・ワークスのロッシとエドワーズの2名までが、開幕を目前に迎えたヘレスでのIRTAテストで悲鳴を上げるなどとは、誰も予想していなかっただろう。
好調だった2005年型シャシーの改良版である2006年型シャシーは、ハイグリップ化が進んだミシュランの新型タイヤとの相性が良くなかった。IRTAテスト最後のヘレスで予想外の振動問題を抱えても当初のロッシは強気だったが、開幕後のプラクティス・セッションでも同じ問題が発生し、最後までそれを解決できなかった後の彼の落胆ぶりは大きかった。
■タイトルを逃したヤマハとロッシ
結局、ロッシは開幕からシーズン中盤戦に入るまでの間、殆どのサーキットで同じ振動問題を抱えており、予選では全くタイムを伸ばす事ができない状態が続いた。シーズン後半にロッシは、ヤマハが改良に成功した新型シャシーで快進撃を見せたが時既に遅く、最終的に僅か5ポイント差でレプソル・ホンダのニッキー・ヘイデンに年間タイトルを奪われる結果に終わっている。
■2006年中はシャシーを3回変更
プレシーズンから数えて、ヤマハ・ワークスは2006年にシャシーを3回、エンジンを4回変更している。シャシー変更の1回目は、まだチャタリングの問題が顕著化していなかったカタールでの冬季テスト、2回目は第5戦のル・マン、3回目は第13戦のセパンだ。
ヤマハによれば、シーズン中に初めてシャシーを変更したル・マンの段階でもチャタリングは解消できていたが、冬季テスト中のデータが全て使えなくなった為に、セッティングに相当苦しんだという。
■2006年型マシンの最大の特徴はフライ・バイ・ワイヤー
冒頭に述べた通り、2002年当初のEMS(エンジン・マネージメント・システム)は、そのままエンジン・ブレーキ制御の事を指しており、どのメーカーもクラッチ制御システムの開発に苦労を重ねている。
理想的なエンジン・ブレーキ制御を追求する中で、ヤマハは2004年のICS(アイドリング制御システム)導入などの試行錯誤を経て、最終的にフライ・バイ・ワイヤー(Fly-by-wire)の採用に辿り着いたという。フライ・バイ・ワイヤーは元々は航空機の操縦システムに採用されたシステムであり、自動車の世界ではドライブ・バイ・ワイヤーの名でも知られている。
■ライダーはエンジン出力のみならずシャシーも制御
フライ・バイ・ワイヤーとは、ケーブルが引っ張られる事でエンジンのスロットルを開閉するような従来の物理的な仕組みとは異なり、ライダーが操作するグリップの動きを予め電気信号に変換し、その信号を受け取ったシステム(コンピュータ等)がスロットルを開閉する仕組みだ。
この技術を使えば、予めコンピューターにライダーのグリップ操作と、その時に必要とされるスロットル開度を、走行時の状況別にマッピングする事が可能となり、エンジン・ブレーキの抑制のみならず、ICSで行っていたトルク制御とトラクション制御に加え、ウイリーの抑制やスタート時の理想的な発進を制御する事ができるという。
■ヤマハの990ccGPマシン開発における総括
ヤマハはプレゼンテーションの中で、以下の3つを総括としてまとめている。
1)YZR-M1は最高のハンドリング性能の実現を目指して設計および開発され、この技術は、ヤマハの市販車であるYZF-R1とYZF-R6に反映されている。
2)並列4気筒エンジンにおける不等間隔爆発は、マシンの乗りやすさに大きく貢献する。この技術の採用は、MotoGPの世界に浸透を始めている。
3)2002年から2006年にかけて、EMS(エンジン・マネージメント・システム)は大きく進化を遂げており、年々EMSによるマシンの制御範囲は拡大している。
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