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2006年1月3日 ShoppingOn編集部
米国のニュースサイト(SPEEDTV.COM)が、「こうるさいスポンサーを追い出すにはどうすれば良いか?」と題して、昨今におけるMotoGPのスポンサー問題に関して興味深い考察を述べている。
現在までに、テレフォニカ、ゴロワーズ、キャメルという3大スポンサーがMotoGPを去りそうな雰囲気だが、これらの原因は何だろうか。この記事によると、全ての原因は、日本メーカーが「ライダー選択の権利」を奪回する動きにあるからだと言う。ではなぜ日本メーカーは5,000万ドル(昨年3社の出資した合計額、日本円にして58億円)という巨額なスポンサー投資がなくても、莫大な開発費用を必要とする今後のMotoGP運営が可能だと判断したのだろうか。
確かに今回の3ケースは、どのスポンサーもMotoGPに未練を残しながらも、日本メーカー側との主張の食い違いにより、撤退を余儀なくされたように見える。第一に、フランスのたばこブランドであるゴロワーズは、2006年シーズンもヤマハワークスのスポンサーでありたかった。しかしながら、ヤマハはバレンティーノ・ロッシの「たばこスポンサー拒否」を認め、これによりサブワークスチーム(ロッシのいないワークス)を支援する事に興味のないゴロワーズは、ヤマハに法的処置を辞さない構えのままスポンサーを降りる結果となった。ゴロワーズの昨年のスポンサー投資は2,000万ドルと言われている。
第二に、スペインの巨大電信会社のテレフォニカは、スペイン人ライダーペドロサの125ccから250ccまでの三度に渡る優勝を支えたスポンサーであり、当然MotoGPクラスでも彼をセテ・ジベルナウのチームメイトとし、スポンサーを続けるつもりだった。ところが、HRCは同じくスペインの巨大石油会社であるレプソルをスポンサーに持つホンダワークスに、ペドロサに直接シートを与えてしまった。目的を失ったテレフォニカは、セテ・ジベルナウに「自由に新しい家を探してくれ」とだけ言い残し、MotoGPを去ってしまった。テレフォニカも、年間2,000万ドルクラスのスポンサーだ。
最後にマックスビアッジのケースだが、彼は昨年のチーム内でのいざこざが元となり、ホンダの権力者の持つブラックリストに載ってしまった。この結果、ホンダに関連する全てのチームから拒否権を発動されてしまい、最後にはブリヂストンのタイヤ供給ができない事を理由にスズキとカワサキからも移籍を断られてしまう。彼の個人スポンサーであるキャメルは、スズキとカワサキの前に、チームポンスとチームロバーツにもビアッジのシート交渉に訪れているが、ポンスはホンダ専属のフランチャイズであり、チームロバーツも今年からはホンダのサポートを受け、RCVのエンジン(KR211V?)とミシュランタイヤを装着する事から、ビアッジにシートを提供する事はできなかったようだ。キングケニーは「私には礼儀正しい男なのだが・・・、いずれにしても、来期のシートはジュニアに決めているのでね」と別のニュースサイトのインタビューにコメントしている。キャメルがスズキとカワサキに提示した額は1,200万ドルだ。
実はこの兆候は、2004年の終盤から始まっている。2005年のヤマハワークスは、すでにロッシ個人とヤマハの独立チームで運営する計画があったらしい。ここで根本に立ち返ると、レースの運営に巨額な開発投資が必要となり、その費用の捻出をスポンサーに頼らざるを得なくなったのはいつ頃からだろうか。
古くに目を移してみよう。キングケニーの引退後、ウェインレイニーが500ccでチーム・ロバーツの王朝時代を築き、ジョン・コシンスキーが250ccタイトルを獲得した時代は、まだチームは現在のフル・ファクトリー体制というよりもプライベートチームのそれに近かった。ところが、500cc時代の末期、フルワークス体制のドゥーハンと戦えるマシンのリース費用は100万ドルまで高騰した。
誰も事実を知らないのか、またはジャーナリストでさえも「たばこスポンサーの政治的権力」には恐怖心を持つのか理由は定かではないが、ここ10年間は、たばこスポンサーの権力に逆らえば2ストロークエンジンでのチーム運営が不可能に近かったのは事実だ。各日本のバイクメーカー、特にホンダもそうだが、市場に技術を反映できない2ストロークエンジンの開発には本社も開発費用をそれほど負担できず、たばこメーカーのスポンサーに頼らざるを得なくなっていた。近年の500ccバイクに描かれたスポンサーカラーを見れば一目瞭然だ。Rothmans,HB, Lucky Strike, Marboro, Ducados, Bastos, Gauloises、それにFortunaやM..S. Chesterfield や各国の小さなブランド等。
一時期は、ペプシコーラがスズキ(ケビン・シュワンツ)のスポンサーになり、その他にもバドワイザーが本格的にスポンサーとして進出した。当時のランディー・マモラが、地道にたばこ以外のメインスポンサー獲得に動き、それが功を奏したかのように見えた時期だが、この後すぐに清涼飲料水や酒造メーカーは撤退してしまう。並み居るたばこブランドに囲まれてマイナーブランド的な扱いを受ける事や、結果として利益を思うように得られなかった事がその理由らしい。
こうした2ストバイクの開発難を受け、HRCはNSR500よりもRVF/RC45、ヤマハは5バルブのR1、スズキはGSX-R750というスーパーバイク(4ストロークレーサー)への開発投資に力を注ぐようになり、この傾向に不安を抱いたDORNAは、2002年にMotoGPクラスを開設する。
4ストロークエンジンは2ストロークエンジンよりも構造がはるかに複雑であり、MotoGPバイクの開発費用は500cc時代とは比較にならない程上昇した。たばこメーカーは自分たちの権限も比例的に増大したものと思い、この3年間はライダーの選択権までも主張してきたのは容易に推測できる。しかしながら、990cc4ストロークエンジンの開発であれば、メーカーは市場への技術反映を見越して開発費用を出資できる。
MotoGP元年以降、メーカーはホスピタリティー運営からチームカラーに至るまで、たばこスポンサーからの制限を受けてきた。今年以降、立場は逆転する傾向にあるのかもしれない。
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