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2007年10月8日
世界から愛されたMotoGPライダー、阿部典史選手が7日に亡くなった。
10月7日の午後6時20分ごろ、今年から全日本選手権に復帰していた世界グランプリライダー、ノリックこと阿部典史選手が、神奈川県川崎市の市道で500ccのスクーターを運転する途中、走行していた片側2車線の道路うちの前方左車線を走行していた輸送会社の4トントラックが違法にUターンをしてきたところに後方右車線側から衝突、約2時間半後に搬送先の病院で帰らぬ人となってしまった。享年32歳だった。
1993年に当時の全日本最高峰クラスであった2ストローク500ccカテゴリにおいて、参戦1年目にして年間タイトルを獲得した阿部選手は、1994年のホンダからのWGPスポット参戦において、ケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンを抑える過激な走りで世界中の注目を集め、ノリックの才能に感銘を受けた元世界チャンピオンのウェイン・レイニーの呼びかけにより、その後はヤマハに移籍してWGPライダーとしての活動を開始。最高峰500ccクラスにおいて2000年の鈴鹿での優勝を含む3回の勝利を記録。どんな時にでも、誰にでも屈託のない笑顔で親しみを持って接する姿で知られる阿部選手は、明るく優しく、決して飾ることのない世界のトップライダーとして、世界中のファンからノリックの名で愛され続けていた。
500ccクラスが廃止された2002年以降は4ストローク化されたMotoGP最高峰クラスで活躍し、2005年からの2年間はSBKに参戦。2007年の今年からは全日本に復帰してJSB1000クラスで年間シーズンを戦っており、久しぶりの日本でのレース復帰1年目の今年は鈴鹿8耐にも出場。10月21日には鈴鹿サーキットにおいて全日本の最終戦に出場する予定だった。
MotoGP最高峰クラスで5連覇を達成している現役MotoGPライダーのバレンティーノ・ロッシが彼の大ファンである事も有名であり、ロッシは小排気量時代から、ノリックの典史(のりふみ)の「ふみ」とロッシの名前を合わせ、「ろっしふみがんばって」という日本語の文字を専用のロゴシールにしており、彼の戦う全てのマシンに今でも貼っている。
ノリックは現在でも世界に多くのファンを持ち、今期は全日本を戦う傍らでMotoGPのテレビ解説者を務めるなど、日本では誰よりもファンから愛されたライダーの1人だ。今回の訃報を、全世界のメディアが悲しみと共に報じている。
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